この公園は、16世紀末に徳川家康公が築いた駿府城があった場所である。現在は、石垣と当時の天守閣の基礎部分、堀の一部が残っているのみだ。櫓と門は17世紀の設計図に基づいて再建された。公園の中央付近には徳川家康公の銅像があり、その向かいには家康公が自ら植えたとされるミカンの木がある。公園の北東部には、伝統的な回遊式庭園である「紅葉山庭園」がある。園内には多くの広場や2つのプレイエリアがあり、南側外周には屋台が並んでいる。 歴史 家康公は、1580年代後半に駿府城を築城した。1590年に、すぐに関東へ移るよう命じられた。1605年に将軍職を退くまでは、江戸に拠点を置いた。その後、駿府に戻り、隠居しながらも権力を保持し、駿府城から日本を実質的に支配した。家康公は1607年に大改修を命じ、天守閣を大きくし、屋根瓦を貴金属で覆った。外国からの使節を迎えるのにふさわしい場所であった。 1635年、町を出火元とする火事により城の大半を焼失。その後、いくつかの建築物のみが再建された。19世紀後半、城は軍に譲渡されたが、これは当時の日本各地の城に共通する運命であった。敷地は平らにされ、陸軍の兵舎として使われた。第二次世界大戦後、城跡は市が買い取り、スポーツや市民の憩いの場として再び生まれ変わった。 東御門と巽櫓 東御門は、要人が使用した玄関口だ。隣接する巽櫓とともに、防衛の要所であった。現在は、